2000年12月01日

王励勤

今1番好きな選手は王励勤です。
王励勤みたいなプレーが出来たらと憧れてますが無理でしょう。

フォア主体で組み立ててるところが特に好きかな


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posted by   中国粘着ラバー信者 at 14:58 |Comment(0)
2000年12月11日

卓球スタートは中学生

俺が卓球を始めたのは、中学で卓球部

走っても遅いし、力もない小学生でしたが、剣道をずっとしてたので、反復横とびは得意でした。あと体育全般苦手でしたが、ドッジボールでは必ず最後まで、逃げ切ってました。動体視力と反射神経が優れていたのでしょう。

あと、ラケット系のスポーツ、バドミントンやテニスを体育の時間などにするとすぐにそれなりに打てる子供だったようです。

それで、走らなくてもできそうな、卓球を選択しました。
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posted by   中国粘着ラバー信者 at 17:41 |Comment(0)

中学1年生

うちの中学の卓球部は弱かったです。バスケットとバトミントン部は全国大会常連だったため、そのその二つが体育館を優先的に使ったため、卓球部は週に2.5日しか体育館で練習できませんでした。
しかも練習できても2時間程度。といいうことで、週に4時間ぐらいし
か球を打ってなかったと思います。

そういう状況にもかかわらず部員が多かったので、3年生が夏に部を去るまでは、1年生はひたすらランニングと筋トレと素振りが毎日の日課でした。

毎日3km走らされて最初は泣きそうでした。
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posted by   中国粘着ラバー信者 at 17:48 |Comment(1)

最初の道具

最初はラバー貼りラケットを使っていて、1年生の後半に、スレーバー両面、厚さは薄に変更しました。

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posted by   中国粘着ラバー信者 at 17:50 |Comment(0)

中学2年生4月にカットマンに転向

部の顧問が突然

「各学年一人カットマンを作る」

と謎な事を言い始め、当時部で一番、強打をロブ等で返すのが得意だった俺が選ばれてしまいました。

道具は

フォアを「タキネスCの薄」、
バックが「フェイントの薄」に変えて

カット練習の日々を送らされた。
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posted by   中国粘着ラバー信者 at 17:54 |Comment(0)

中学2年性夏

夏の大会の参加者を決める部内の試合で、大勢の3年生を押しのけて4位に入り、団体のシングルス枠と個人戦の参加資格を得ました。
2年生で唯一のレギュラー入りでした。

しかし、実際の試合では緊張してボロボロ
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posted by   中国粘着ラバー信者 at 17:57 |Comment(0)

中学3年生

このころから、だいぶ卓球も上達して、フォアの中陣ドライブが打てるようになりました。

中陣で良いドライブが打てるようになると、

ドライブで得点ができるのに、なんで、カットしないいとだめなのか?

とカットするのが馬鹿馬鹿しく思えてきて、

厳しい球はカットして、甘い球はドライブで反撃するオールラウンドなプレーをしたかったのですが、顧問には

「お前はカットマンなんだから攻撃するな!」

といわれいつも喧嘩状態でした。

結局中学生の時はたいした成績も上げることもなく終わってしまいました。
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posted by   中国粘着ラバー信者 at 18:02 |Comment(0)

高校でも卓球

高校では地味な卓球から足を洗って、テニスかバスケットをやろう!と心に決めて高校生活をスタートしたのですが、なんと放課後突然の来訪者があって

「○○中学の○○君だよな?卓球してたよな?一緒に卓球部入らない?今卓球部人数不足で廃部の危機なんで助けて」

と突然声をかけられる。よく見ると、中学の時、県大会でいつもベスト4以上に入っていた△△中学の××選手。
こんな凄い選手にスカウトされるとはビックリ。
詳しく話を聞くと、△△中学の強い選手に惜しい試合をしたのを覚えてくれていたらしい。

しかも、現在部員ゼロ人、怖い先輩もいないのでラッキーと思い、入部してしまいました。





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posted by   中国粘着ラバー信者 at 18:11 |Comment(0)

高校で急上達

今まで弱い部活で、週に2.5日しか練習していなかった環境から、

「部員の人数と同じだけ卓球台があって毎日何時まででも使える」

環境に以降しました。しかも部員が4人しかいなかったのですが、中学県ベスト4の人筆頭にうまい人ばかり。

最初はボコボコにされ続けました。
俺がいた中学は弱く、そんなに凄い強打を打つ人がいませんでした。
なので、取りあえず相手コートに入れることを重視したプレーをしておおけば何とかなったのですが、上級者には通用しない。
ロビングするのがめちゃくちゃ得意で、自分の中学の部だと、誰も打ちぬけなかったので、苦しい球はロブあげて相手のミスを誘うプレーを多用してたのですが、県ベスト4の人には、甘い球は一発で打ちぬかれてしまいました。
苦し紛れにカットしてみても一発で打ち抜かれてしまうし、どうにもならない状態でした。

そこで、中途半端な自称オールラウンドプレーではどうにもならないと、道具を

両面タキネスDに変更して、ドライブの基本からやり直しました。
当時はワルドナーの全盛期だった事もあり、ワルドナーにあこがれて両ハンドドライブの習得に明け暮れてました。

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posted by   中国粘着ラバー信者 at 18:28 |Comment(0)

高校2年生の頃の日本の卓球界

練習環境のお陰で、めきめき上達しました。

当時の日本卓球界は斉藤時代、ペンドラ最盛期だったため、シェークの人も基本はフォアで全部打つ、どうしても無理なのはバックハンドのショート(ブロック)でつなぐというのが、高校県大会レベルでは一般的な考え方でした。

当時の一般的な戦術は

1 サーブは相手のバックにした回転系を出す
2 相手に突っつかせて、
3 三球目を相手のバックにループドライブ打って、相手にショートさせる
4 相手のショートが浮いたらスマッシュ、浮かなかったらドライブ

な感じで、強打がない相手のバックを突くのが、最重要事項で、いかに回り込んで先にドライブを打つかが勝負のポイントでした。
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posted by   中国粘着ラバー信者 at 18:38 |Comment(0)

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